部下が倒れたと聞いた。ノリス・パッカードは戦艦ザムス・ガルの医務室へと足を向けている。
自分に息子がいたら、あれくらいの年端であろうか。何の因縁か、部下として預けられた者は皆少年であったのだ。
その中に、凶暴なまでの好戦性を持った少年がいた。思えば、彼に対して初めて感じたものは違和感であった。あの時の感覚を信じるべきだったのだ――ノリスは今でもひどく後悔している。気づかないふりをしていたのだ。
医務室のドアがスライドする。塞がった視界が開けると、ベッドで横たわり、目を閉じたクロト・ブエルの姿を見つけることが出来た。ベッドの傍らにある丸椅子から、レイン・ミカムラが心配そうに眠るクロトを見守っている。
レインがノリスに気づいて、立ち上がろうとした。が、それよりも先に室内の壁に寄りかかっていたトロワ・バートンが声を掛けてきた。
クロト同様、彼もまたノリスの部下の一員である。
「…ノリス隊長、クロトはいつも通りだ」
「そうか。すまなかったな、トロワ」
言葉少なにノリスが答えると、トロワはこくんと頷いてから、目線だけでレインに話を促した。
「今日はトロワ君と機体の整備をしていた時に、退薬症状が出たようなんです」
「コックピットに薬を隠し持っていたようだ」
トロワが言うや否や、レインは上着のポケットから茶色い瓶を取り出した。中身は少し残っているようで、レインが動かす度にチャプチャプと音を鳴らしている。
「う、む…」
「今は鎮静剤を投与して、落ち着いています。呼吸の乱れもなし、血圧や心拍数も正常です」
そうですか、と答えてノリスはクロトの顔を見やった。戦闘中のギラギラとした狂気と危うさは消え去り、穏やかな表情で眠っている。年相応、あるいはそれよりも幼い顔つきで眠る姿は、どこか可愛らしささえも感じられる程だ。
「ミカムラ先生、しばらく寝かせてやって下さりませんか。次の出撃にクロトは出さん予定です」
「大佐、お心遣い感謝します。クロト君のためにも、そうして下さると助かります」
「よろしくお願い申し上げる。…トロワ、お前はどうする」
呼びかけると、トロワは壁に寄りかかったまま軽く目を伏せた。クロトを見ている様子だった。
「もう少しここにいる」
「そうか。重ね重ね、すまんな。トロワ」
「俺は何もしていない」
トロワ・バートンというのは、無口で何を考えているかわかりにくい少年だ。しかし、情に厚いところがあることはノリスもきちんと知っていた。
「ミカムラ先生。何かありましたら、お声をかけていただければと。すぐに参りますゆえ」
「ありがとうございます、大佐。そうさせてもらいますね」
「では、失礼」
一礼して素早く踵を返し、ノリスは医務室から出た。
「……良いわね、男同士の信頼関係って」
三人になると、ひとしきりの沈黙の後にレインはにっこり笑ってこう言った。クロトの眠るベッド隣の丸椅子に座って、彼の額に滲んでいた汗を拭いてやっている。
「ん…?」
「ノリス大佐もトロワ君も、クロト君が倒れると、いつも真っ先に来てくれるでしょう。普段からずっと一緒というわけじゃないけど、ここぞという時は必ず駆けつけてくれるじゃない!」
私の身近にもそういう関係の人達がいたから、ますます羨ましくなっちゃう。
レインはこう続けて、どこか懐かしさを噛みしめているかのような、暖かい笑みをクロトに向けていた。遠くのことを思っているのだ、とトロワはすぐわかった。
「そうか」
どう聞いても無関心な返事にしか聞こえないが、これでもトロワなりにレインを思いやった返事だった。ただ、それはちゃんとレインには伝わっていたらしい。
「えぇ」
また笑って、今度はそれをトロワに向ける。つくづく戦争には向かない人だとトロワは思った。
「そういえば……あ」
話を変えようとしたレインを遮ったのは、クロトの掠れた声だった。眉を寄せて、重たげな瞼を開いてゆく。
「う…ぐ……?」
「クロト君、大丈夫?」
「あ………レインさん…ク、クソッ、また僕……」
じんわり目に涙を浮かべながら、クロトはもがくようにして上半身を起こした。
「大丈夫よ、何も気にしないで。具合はどう?」
「う、ん……さっきまですごく苦しかったけど、もう何ともない」
「そう! 良かったわ。次は苦しくなったら、私を呼ぶのよ。あの薬を飲まなくても、クロト君には適切な治療がちゃんと用意出来るから。ね」
「うん……」
コクリと頷いたその姿は、どこか暗く陰を帯びている。自責の念と共に、戸惑いもあるようだった。
本来自分がいるべき世界で、このような待遇を受けたことがないからだ。
「トロワ君が、クロト君をここまで運んできてくれたの。お礼を言ってあげて」
「う、うん……トロワ、ありがとう」
ぐしぐしと涙を拭いながら、クロトは一瞬だけ頭を下げた。鎮静剤を投与された後は、いつもこうして大人しく素直である。鎮静剤が効いている証拠だ。トロワはコクリと頷いた。
どうやらこのまま立ち上がらせても問題はなさそうだ。食事にでも連れて行くか、とトロワが考えていた矢先のことである。
「女! クロトはいるか」
医務室のドアがスライドして、この場には相応しくない鋭い大きな声が響いた。
レインは顔をしかめて
「五飛君。医務室では静かにしてちょうだい。それと、女っていう呼び方はとても失礼よ」
と諭すも、五飛は頑固だ。それを無視してツカツカとクロトに歩み寄った。
「ふん…無様だな。貴様、また薬に手を出したのか。精神が脆弱だからそんなことになるのだ」
つり上がった猫目が、クロトを不敵に挑発する。涙目の少年のぼんやりとした表情が、みるみるうちに豹変していく。
「……………はあ?」
「言葉通りだ。貴様のような弱い奴と言い争う舌は持たん」
「てめぇ! もう一回言ってみろ!!」
激昂したクロトはベッドから跳ね起き、凄まじい速さと勢いで五飛に襲いかかった。とてもではないが、先ほどまで意識を失って眠っていた人間とは思えない。
とはいえ、先ほどまで寝ていたには違いない。故か、五飛は簡単にそれをいなすと、鼻で笑った。
「クソッ! 待ちやがれ! クソーッ!」
そのまま医務室を出ていく五飛を、クロトは鬼のような形相で追いかけていく。「ちょっと! クロト君!」とレインが呼びかけても、まるで聞こえていない様子だった。
「んもう! 何なの一体!?」
レインが唸り、トロワは黙っている。
「…でも」
ぽつり、とルージュ輝く唇が紡ぐ。
「すごく元気になってる…クロト君」
ふっとトロワが笑ったような気がしたが、レインがそれを確認する間もなく彼もまた「世話になった」と医務室から出ていくのであった。
――これも男同士だからこそ、ってことかしら。
レインは半ば呆然としながら、もぬけの殻となったベッドを見ていた。