自分の置かれている状況がよくわかっていないからこそ、余計に地球の重力は彼を疲弊させた。

 初めて出会った女に「この世界を構築するシステムを管理するのは自分である」とか、「誤った世界を正すためにシステムを修正せねばならない」とか、わけのわからないオカルトな話を並べられればそうもなろう。

 しかし、実際にディアッカが舵を取る艦は自分の世界にはないものであったし、そこに集った人々も自分とは異なる時代から訪れた者たちだったのだから、事実として受け入れざるを得ない。

 それが放り込まれたのが、どうやら自分が本来いた世界らしい、ということだから、物事を整理しきれない頭はすっかり石のように重たくなっていた。

 「ディアッカ・エルスマン」

 ポン、と肩に手を置かれて振り返る。色白で睫毛の長い、艶やかとも言えよう金色の髪を持つ男。あどけなさが残る顔つきで、ディアッカを見据えて微笑んだ。

 「休憩の時間だ。長い時間、よく働いてくれた」

 「グレミー艦長さん…だっけ」

 「名前はゆっくり覚えてくれれば構わない。なんせ来たばかりだものな」

 「いや、もう三日経つ。ここに立ちっぱなしなのが良くなかったな」

 「そうか」

 女相手であれば、まさしくイチコロであろう笑みを浮かべながらグレミーは言った。甘ったれのするような表情だなとディアッカは感じた。

 「君に頼りすぎた。この時代を知る者が、君しかいないからといって…」

 「良いって、艦長さん。わけわかんないのはみんな同じだろ?」

 「ああ」

 話しているうち、グレミーの後ろから「艦長、休憩なさってください。私が代わりに」と名乗り出る男が現れた。

 「頼んだぞドレル。私も少し休ませてもらう」

 グレミーが踵を返すと、今度はそのドレルと呼ばれた男が、内心苦笑しているディアッカを視界の中心に捕らえた。

 こっちの男もこれまた甘いマスクの持ち主だが、グレミーとは違い随分と怖い顔をしている。鋭い瞳はつり上がり、形良い唇が威圧的に言の葉を紡いだ。

 「貴様の代わりも直に来る。少し待て」

 「はいはい」

 気のなさそうな返事に、ドレル・ロナは一瞬心持ちを悪くしたが、すぐにブリッジのドアが開くとそれ言及する気にはならなかったようだ。

 「すみません、遅れました!」

 「ハヤト・コバヤシ、操舵、出来るな。頼むぞ」

 「了解です」

 小柄な少年は、言うが早いがタッとこちらへ駆け寄ってくると

 「お疲れさまです、ディアッカさん。代わりますよ」

 と言って、人の良さそうな笑顔を向け、舵を取った。

 「サンキュー。じゃ、お言葉に甘えて休憩させてもらうわ」

 オペレータ席のハロがけたたましく「ディアッカ! オ疲レ! オ疲レ!」と騒いでいたのを耳にしつつ、ディアッカはヒラヒラと手を降ってブリッジから退場した。

 人手だって足りていない艦だ。そんなので世界をどうこうだなんて、ふざけたものだとディアッカは思っていた。

 口ではああ言ったものの、とてもではないが休む気になれない。

 「さーてどうしたもんかな」

 ディアッカの声が、金属の壁に跳ね返った。

 

 アムロ・レイは最も早くこの艦に招かれた人物だ。ザムス・ガルの造りも徐々に理解してきていた。そうでなくとも、彼はなし崩し的にホワイトベース隊に編入させられた経験がある。こうした異常事態にも、悲しいことにさほど混乱はしていないのだった。

 その為、冷静に仕事をこなすことが出来ている。貴重な戦力とも言えよう。

 今も格納庫内のモビルスーツを、鋭意整備中であった。が、部品が不足しており、アプロディアに要請を行なってきた、その帰り道である。

 「あれっ」

 いい匂い。

 通路を歩くアムロは、ついつい足を止めてしまった。

 「食堂だ」

 独りごちて、一歩踏み出せばドアがシュンッとスライドする。

 このたまらなく香ばしい匂いで、自分がまだ食事を終えていないことをアムロは思い出した。

 「ああ…腹減ったなぁ」

 しかし、食堂内に人影はない。厨房で何者かが調理しているのか。

 考えるうちに、厨房から色黒の男が皿を持って出てきた。

 「あっ」

 「あ」

 皿の上では、黄金色をしたぴかぴかの米が輝いている。

 とうとうアムロのお腹が「グギュルウ」と鳴き出した。皿いっぱいに立ち込める湯気の誘惑に、勝てなかったのだ。

 「…食う?」

 「い、良いんですか?」

 「良いぜ。座んなって。支度してやるから」

 ディアッカは再び厨房に引っ込んで、皿の上に先ほどの倍以上の炒飯を盛って、アムロの前に現れた。

 「ほら。いっぱい食えよ、エース君」

 「……そういう言い方、よして下さい」

 アムロは少し不機嫌になりそうだったが、ディアッカから差し出されたスプーンを手にして椅子に座ると、もうどうでも良くなった。

 「お、美味しい! これ、ディアッカさんが作ったんですか!」

 たくさん頬張って、目を輝かせている。

 「まあね。お前、マジで冗談抜きにいっぱい食っとけよ。パイロットは飯食うのも仕事だぜ」

 「はい。ディアッカさんは、元々コックだったんですか」

 「これでも一応、モビルスーツのパイロット」

 「へえ」

 すごいですね、と炒飯をもふもふ食らいながらアムロは言った。

 「コーディネイターだからなんですか?」

 「えっ」

 「何でもこなせるって。あ、いえ、すみません…個人的にすごく興味があったんですけど、こんな聞き方失礼ですよね」

 僕らの世界にはいませんから、と付け足して、アムロは申し訳なさそうに瞳を伏せた。自分がやめてほしいと感じた「そういう言い方」を、今まさに相手にしてしまったと思ったのだった。

 しかし、ディアッカはアムロを怒ることもなければ、睨むこともない。向かいの椅子に座って、自らの顎を擦りながら考えていた。

 「……どうだかな。何でもこなせるっつったって、得意不得意はあるもんよ?」

 「そうなんですか?」

 「そうそう。俺はいい子にしてるのが苦手だし、ひねくれてるからお前みたいに素直じゃないし」

 「僕だって素直なんかじゃないですよ」

 「仮にそうだとしても、俺より大分マシだっつの」

 自嘲気味に口元を歪めて、ディアッカは自らに止めを刺した。

 「出来ることが多くたって、愛されなきゃ辛いもんだよ。皮肉だよな」

 ディアッカの心の中に、黒い何かが垂らされていくようにアムロには見えた。どこか投げやりにも思えるその言葉には、諦めも混ざっているように思える。

 「親……ですか?」

 アムロにそう問われた瞬間、ディアッカはビクリとして、目を丸くしながら相対する少年を見つめた。

 「おいおい、なんでわかんの?」

 「僕も何となくわかるんです。親って難しいですよね」

 「…そうだな。でも一応、感謝もしてる。料理が出来るようになったのは、その副産物だからさ」

 炒飯をもぐもぐさせているアムロを眺めながら頬杖をついて、ディアッカは話を続けてみた。

 「俺、親父しかいない環境で育ってさ。親父は仕事ばっかの男だったから、あんまり仲も良くなくて」

 何故だか、この少年の黒い瞳を見ていると安心する。こうして静かに話を聞いてくれるだけでも、不思議とホッとした。言い様のない魅力を備えた少年が、アムロ・レイなのだな、と。

 「軍人になったのも、あいつに反発したいからだった。そしたらもう、大暴れってわけよ。“遺伝子調整は完璧だった。なのにどうしてお前はこうなんだ!”ってね」

 「そんなふうに言われるの…悲しいですね」

 「本当、そうだな」

 しばらく黙ってアムロが食事をする様子を見ていたが、間もなく眠気と疲れが襲ってきて、ディアッカの瞼は閉じがちになってきていた。

 「疲れてるんでしょ、ディアッカさん。休める時は休まなくちゃ」

 「ん、そうする。サンキュー、アムロ」

 「僕、何にもしてませんよ」

 「お前に話したら、なんか色々安心して眠くなったんだよ。…なぁ、まだ厨房に炒飯あるからさ。他に腹空かしてる奴がいたら教えてやってくんない?」

 「わかりました。ゆっくり休んでくださいね」

 「悪いね。じゃ、お休み」

 そう言って立ち上がった瞬間、アムロが「お休みなさい。炒飯ごちそうさまです」と微笑みかけた。

 この黒い目、宇宙に似ているんだなとディアッカはぼんやり感じる。星々を許すあの広大な空間に似たそれは、人の場合、人を許すためにいてくれるのだろうか?

 これがニュータイプか、と胸の中でつぶやいて、ディアッカは軽く手を振って食堂から立ち去った。 

「(かなり好きだな)」





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