戦艦ドミニオンの格納庫は、静かな空気に包まれている。人のいた気配というものがまるでない。
というのも、彼――シャニ・アンドラスがここへやってくるその前まで、機体の点検を行なっていた人間はいなかったのだ。副長のモニク・キャディラックは
「整備プログラムをインストールしたハロが全て行なっていた」
と言っていた。貴様も基礎はハロから学べば問題ない、と。
シャニは手すり越しに天井の方を眺めた。
「……変なモビルスーツ」
呟いた声も格納庫の冷たい金属の壁に反響する。
これを自分が整備するのか、とか、整備なんてやったことない、とかいうことはシャニの心にただの一つも浮かびはしなかった。やれと言われたらやるだけだ。
『ハロハロハロ!』
どこからともなく転がってきた黄緑色のハロをしゃがんで受け止め、シャニはそいつと向き合うと「俺、新しい整備士」と呪いをかけるが如く小さな声で唱えた。
『整備! 整備! 整備士マニュアル検索中…検索中……』
カパッチョ、とハロの口が開いて、内部に備え付けられたディスプレイとキーボードが発光する。
シャニはその場に座り込んでハロを膝の上に置き、整備の勉強を始め――る前に、
「お前、音楽聞かせてくんない」
と抑揚のない声で尋ねた。
『音楽検索中…音楽検索中…検索完了! ミュージックスタート!』
ハロの目がチカチカと点滅すると、シャニは不機嫌そうに顔をしかめる。流れてきたのがジャズだったからだ。
「趣味悪すぎ…ま、良いか」
嘆きながら今度こそマニュアルを開き、それを覚えることにした。
そんな背中をたまたま見かけて、一度戻り、またこの格納庫へ帰ってきていた少年がいる。
ニコル・アマルフィも、シャニと時を同じくして、アプロディアによりこの戦艦に招かれた。彼はそれを“友達を作るきっかけ”と考えていた。だから二つココアを持ってここにいる。
「あの…」
「…………は」
「これ、良かったら飲みませんか?」
ニコルが差し出してきたマグカップを見つめて、シャニはぼけっとしている。
「これ」
「えっ」
「何?」
焦点の定まらない虚ろな瞳で、シャニは言う。外観に似つかわしくない、舌ったらずな喋り方と生気のない青白い顔は恐怖そのものと言って過言ではない。
しかしニコルはただ微笑んで、カップの一方をシャニへと差し出した。
「ココアです。甘いから、脳の栄養になって勉強がはかどりますよ」
「ふぅん」
ひったくるように奪ってそれをまじまじと見つめるシャニに、ニコルは「熱いから気をつけて下さいね」と付け加えてから彼の隣に座った。
「僕、ニコルって言います。ニコル・アマルフィ。あなたの名前教えて下さいませんか」
「俺……? シャニって呼ばれる」
「シャニ! ねえシャニ、僕の髪見て下さい。シャニとそっくりだって思いませんか?」
自分の髪をつまみ上げて、ニコルはシャニに見せてみる。シャニも同じようにつまみ上げてみせた。
緑色の、ふわふわしたウェーブがかった癖っ毛。雨の日はごわついて面倒くさいものだ。
「……雨降るとめんどい?」
「あはは、はい。めんどいです。おんなじですね」
「へへ…似てるかも」
そう言いながら、ちょっと笑っている。心がほんの少し繋がったような気がして、ニコルは嬉しくなった。
「ね、そうでしょう。僕たち、何だか友達になれそうな気がしませんか?」
「友達?」
ココアを冷ましながら言葉の意味を咀嚼してみる。が、答えは出なかった。
「友達って何?」
「え!」
ニコルは言葉に詰まった。
どう見ても自分より年上であろう彼が、友達という言葉の意味を知らないことに驚いた。そして何より、自分の中に友達の定義が明確に存在していないことも。
「友達……っていうのは…」
しどろもどろするうち、ハッとした。
先ほど、自分で感じたことではないか。心が繋がる、と。
「…何かものを見たり、聞いたりした時、感じたことや思ったことを共有したいと思える人…です」
「………きょうゆう。感じたこと、思ったこと」
「はい」
ココアの入ったマグカップを両手で包み込みながら、シャニはぽかーんと宙を仰いでいた。
正直、彼の――ニコルの言った言葉は、自分には理解できないものの方が多い。そもそも聞いたことがないものや、意味を考えたこともないようなものまで。
それでも、彼が「おんなじ」と言ってくれたことだけはわかった。
「“おんなじ”…………面白いじゃん」
ニコルの表情が、パァッと華やいだ。