とある名も無きコロニーの港に、ホワイトベースとドミニオンは停泊していた。

 アプロディアはかなり頻繁に、こうして休息を与えてくれる。その度、彼女によって捏造された入港許可証をコロニーの人間に手渡すのは勇気がいるそうだが、ホワイトベース艦長のロラン・セアック曰く「少しずつ罪悪感が薄れてきてしまった」と。

 オルガ・サブナックは、そんな艦長率いるホワイトベース隊のエマ小隊に所属するモビルスーツパイロットである。

 ホワイトベースに積んでいるエレカに乗り込んで、そのキーを回そうとしているオルガに、一人の少女が声をかけた。

 「オールガ! どこ行くのさ!」

 同じくエマ小隊所属のエル・ビアンノである。乱暴な態度で粗野な言葉遣いをするオルガにも、全く物怖じせず接してくる大した娘だ。むしろそんなオルガを心配して、彼にひっついているような優しい少女であった。

 「街に出掛けるの?」

 「いや…」

 「違うの!」

 言いながら、ふわりとトラックの助手席に舞い込んでくる。

 「…向こうの、ドミニオンに用がある」

 「ドミニオン? 誰かと約束?」

 「チッ、てめぇさっきから質問ばかりしやがる」

 ギロリと睨みつけるも、エルは「あれそう? ごめんねぇ」とへらへら笑っており、悪びれた様子すら見せない。

 オルガは罵倒しようとするのを止めた。

 「約束じゃねぇ。向こうの補充人員が、どうやら俺の知り合いらしくてな。様子を見に行くだけだ」

 「へえ〜面白そうじゃん! ねえ、あたしも連れてってよ!」

 はしゃぐエルを横目に、オルガは無言でキーを回した。返事の代わりだ。

 エレカを走らせると、低重力下でエルの金髪がなびいた。

 オルガにとって、金髪の女の知り合いはエルだけだ。というよりも、彼の記憶の中に女性はほとんど存在しない。から余計に、髪の流れやその仕草一つ一つが気になった。

 そんな彼の心境などつゆも知らず、エルは忙しなく動き回る港の従業員らを見回している。

 ホワイトベース停泊地点である二番入港口の隣、三番入港口にドミニオンは停まっているらしい。巨大な戦艦を置いておくのには、とてつもないスペースが必要となる。故に、移動距離も多少長い。

 無言の時間を切り開くように、エルが投げかけた。

 「オルガの知り合いってさぁ」

 「あ?」

 「どんな人なのかなあって思ってさ」

 「…わかんねぇ」

 「わかんない?」

 「考えたことねぇよ」

 そうだ、考えたことがない。

 エルは金髪で、女で、口やかましい。自分の中でエルという存在である。

 だが彼は何だっただろうか。

 「一緒にいた時間はお前より遥かに長いよ。でも、わかんねぇ」

 宇宙トンネルの通路を走りながら、オルガは繰り返した。三番入港口の案内標識に従って、ハンドルを右に切る。

 「ただ、お前のことはこうして時々考えることもある。なんで俺はお前のこと考えるんだろう」

 「えっ! 何それオルガ! やだぁあたしに惚れちゃってんの〜? おほほほ」

 「はあ? ばっか、そういうんじゃねーよ!! …あー、よくわかんねぇからもういい」

 こういう気持ちは何と言うのか、エルに聞いてみたかったのだが、どうやら上手く伝わらなかった様子だ。

 「アハハハ拗ねた! …ねえ、でもさぁ」

 茶化すような態度から一転、エルは頬杖をつきながら天井を仰いだ。

 「様子を見に行きたいって思うのは、その人のこと考えてるってことじゃないの。あたし、オルガはまともだって。あんたが思っているよりもずっと普通だって感じるよ」

 普通、か。

 口には出さなかったが、オルガは胸の辺りにジワリと熱く感じるものがあった。

 “生体CPU”という言葉に洗脳されて、考えることを止めるふりが上手くなっていたのかもしれない。ただそれが、自分に対してだけだったらしいということが何とも情けないところだが。オルガはその端正な顔を、気付かれないように歪めた。

 三番入港口に留まっている、ドミニオンのバーニア部が少し見えてきていた。あの黒い艦が好きではなかったオルガは、小さなため息をついてからアクセルを踏み込んだ。

 

 所変わって、ここは戦艦ドミニオンの格納庫である。

 そびえ立つモビルスーツの前をゆっくり横切っていくリフトに、二人乗っているのがわかる。

 その内、背が高い金髪の男が、しきりに感心しながらこう言った。

 「しかし君、すごいね。初めてやる整備がここまで完璧だなんて。…僕が出る幕がないな」

 ホワイトベース隊所属の整備班班長、オリヴァー・マイである。戦艦ドミニオンには、既に先客がいたというわけだ。彼はドミニオンの副長を務めるモニク・キャディラックから要請を受けて、この新人整備士の指導を行っていた。

 「………ハロ」

 「え?」

 傍らの少年は、陰気な顔をリフト下に向けてこう答えた。

 「ハロが手伝ってくれるから。わかんねーとこ」

 オリヴァーも続けて下を覗き込んでみると、複数の丸い緑色がぴょんぴょん跳ねてハロハロ言っている。

 「は、ははは……なるほど」

 これにはオリヴァーも苦笑した。是非ホワイトベースにも配備しておきたいものだ、アプロディアに陳情する価値はあるだろう。

 「って…あれ」

 そのまま視線をモビルスーツに戻そうとした時、格納庫の出入口に覚えのある姿を見つけて、オリヴァーは意識をそちらへ向けた。

 「やあエル! オルガも一緒か」

 「あれーっ、オリヴァーさん! 何でここにいるのさ!」

 エルがリフトの下から体いっぱいを使って、手をブンブン振る。それに応えるように小さく手を振り返すと、オリヴァーは手元のコントロールパネルでリフトを下降させた。新人の少年はぼけーっとしながら、エルを見つめている。

 「新人の指導を、こっちの副長さんに頼まれてね」

 よっ、とばかりにリフトから降りてくると、オリヴァーは困ったような笑みを浮かべた。噂の新人は、のろのろとリフトから降りる。それからやっぱりエルを見ていた。

 「いやあ参ったよ…彼、ほとんど完璧でね」

 こう言いながら、オルガがずっと新人を見ていることにオリヴァーは気付いた。――エルは自分を見ていて、新人はエルを見ており、オルガは新人を見ている。視線がまるで交わっていない。

 すると唐突に

 「やっぱりてめぇか。シャニって名前…」

 と、オルガが言った。新人整備士、シャニ・アンドラスはうねる髪の奥から、オルガを真っ直ぐ捕らえた。

 「知り合いなのか?」

 「俺と“おんなじ”だよ」

 オリヴァーの問いに淡々と答えて、オルガはシャニの眼前まで迫り寄った。その異様な空気を感じて、エルがオルガの服の裾にかじりつく。ジュドーとビーチャが喧嘩を始める前の、あの独特な雰囲気によく似ていたのだ。

 ちょっと! と言うよりも先にエルは拍子抜けする。

 「お前、整備やったことねーだろうが! どうすんだ!」

 シャニの胸ぐらを掴んでまで飛び出してきた言葉だというのに、それは明らかに情を持っていた。

 ぽかんとした表情のエルとオリヴァー。二人の無言は、即ちこの場の静寂を表す。

 しばらくされるがままのシャニであったが、これまた唐突に「ハロがいるぜ」ともごもご唱えた。

 「バカかお前…」

 「ま、まあまあ、オルガ落ち着いて。今並んでるこの機体は、全て彼が整備してくれたものだよ。見てごらん、素人とはとても思えない」

 オリヴァーがオルガとシャニの間に割り込み、オルガの肩をトンと軽く押すと、彼はしかめ面のままではあったが無言で離れた。

 続けてエルが上着をグイッと引っ張ると、オルガはそのまま出入口に向かって歩き出してしまったではないか。

 「オルガぁ!?」

 「もういい。帰るぞエル」

 「えっ! も〜ぉ!? あ、あ、オリヴァーさんさよなら、また後で! そっちの新しい人もさよなら仲良くしましょうね〜!」

 どんどん歩いていってしまうオルガを追いかけながら、エルは懸命にこちらへ手を振る。オリヴァーは手を振って、しかし苦笑いしながら「何だったんだ…」と呟いている。

 「あ」

 ふと、新人を見て唖然としたのは、オルガが来る前と比較した彼の表情が晴れやかだったからだ。

 「……食事にでも行こうか?」

 若干取っつきやすくなったシャニにこう言って、オリヴァーはもう一度改めてその顔をまじまじと観察した。

 「ねえ。何食うの」

 好意的な返事が聞けたのは、気のせいなどではなくオルガのおかげだろう。

 

 一方、ドミニオンの通路では早足で歩くオルガをエルが追う、という光景が未だに続いていた。

 「ホントにもう良いの、オルガ!」

 オルガは答えない。

 わからなかった。ああいう対応で良かったのか。というよりも、顔を見た瞬間にどういった言葉をかけてやれば良いか、わからなくなってしまったのだ。

 だからもう良い、というより、何もない、というのが正しかった。

 彼は、シャニは、自分の何なのだ?

 苦悩する背中は、

 「せっかく久々に会えた友達だったんでしょ!」

 と聞いて、急ブレーキをかけた。

 突然停止したオルガの背に、エルは鼻をぶつける。

 「いたっ! ちょっとぉ、急に立ち止まるんじゃないよ!」

 「友達?」

 「え? うん。あれは友達だろ? あんな風に言えるの」

 振り向いた青年と目が合った瞬間、エルの青い目が、確信を抱いて輝いた。

 わかった! さっきオルガが言いたかったことは、これだ!

 彼はエルを「友達」と言いたかったのだ。しかしそれを知らないが故に「お前のことを考えることもある」と表現して、その続きをエルに問うたのである。

 「友達…か」

 「うん。友達だよ。オルガとあの人」

 しばらく物思いするかのように黙りこくっていたオルガだが、今度はエルも追い付ける速さでゆっくり歩き始めた。

 それを並んで歩くエルに、オルガはこう話を始めた。

 「なあ。友達って、本当にあるんだな。小説で読んだことはあったが、俺は架空の世界にあるものだと思ってた」

 「そっか」

 「ん」

 オルガが自分の胸中を語るのは珍しくて、エルは言葉少なに頷いた。もう少し彼の気持ちを聞いてみたいと思ったので、続きを促すように黙ってみる。

 「…エルも友達だと思う。これは良いのか?」

 全身の毛穴がブワァッと広がって、背中がゾクゾクした。と表現すると、読書家のオルガは怒るかもしれない。しかし、エルはそうした寒気を伴う、とてつもない喜びを感じたのだ。

 「もちろん! もちろんだよ、オルガ!」

 はしゃぎながら床を蹴っ飛ばして、宙に浮かび上がる。それからエルはクルクルと回って、漂った。

 「な、なんだよ…えらい嬉しそうだな」

 「そりゃもう! ね、お腹空かない? アレンビーと一緒に、エマさんも呼んであげるからさ、どっかでご飯食べよ!」

 「は? おいちょっと待て、なんでエマさん呼ぶんだよ! 呼ばなくて良いってバカ!」

 恥ずかしがっているオルガを半ば無視して、エルは勢い良く前進していった。

 強化人間と呼ばれる者の切なさを、エルは知っている。あの娘もこうして世界を飛び回って、元気にやっていれば良いのになと考えた。

 オルガの照れ顔とプルの笑顔が、ほんの一瞬重なってすぐ離れた。





inserted by FC2 system